ASDを持つ人の「周りの人がみんなバカに見える」という話をよく目にします。
実際に、私もそのように考えていたことがありました。(今は考えを改めましたが)
なぜこのようなことが起きるのか、考えてみました。
ASDも、定型発達者も、それぞれに長所と短所があります。
たとえば、定型発達者は「言葉の持つ言外の意図をくみとったり、言葉を発することによる相手への影響を考える能力」に長けています。
これは言い方を変えれば、「空気を読む」「人の気持ちを気遣う」ということです。
例えば、「この人はバカだな」と思っていても、それを言われると嫌な気持ちになることがわかっているので、それを言うことはあまりありません。
それがたとえ事実であっても、悪いところや、間違っていることは、相手に伝えたら傷ついてしまうと思い、伝えようとはしません。
そして、人に対していつも良い気持ちになってほしいと思っているので、良いと思ったところはたくさん伝えます。
一方でASDを持つ人は「何が正しくて何が間違っているのかを追求する能力」、言い方を変えれば「問題を解決したり、改善する能力」に長けています。
先ほどの例で言うと、「この人はバカだな」と思っていれば、「あなたはバカだから、もっと勉強した方がいいよ」などと言います。
ASDは言外の意図を汲み取ることも、含ませることも苦手なので、この言葉に裏の意図などはありません。
「頭が悪いことを自覚して、勉強するなどして改善できれば、この人自身ももっと良い生活が送れるだろう」という、全くの親切心からこのような言葉が出てくるのです。
相手が嫌な気持ちになることは分からなかったり、気づいていたといたとしても、あまり重視しません。
しかし、それを言われた定型発達者は、この発言の裏の意図を汲み取ろうとします。(定型発達者同士のやり取りであれば、これが正しいのです。)
すると、「そんなことを言われたら傷付くことは当然分かるはずなのに、あえてこのような発言をするということは、この人は私のことが嫌いなのか」という、誤った結論にたどり着いてしまうこともあります。
ASDを持つ人は、いつも物事を改善しようとしているので、間違ってることや、良くないと思ったことははっきりと伝えようとします。
間違っていること、良くないことを認識してもらい、直してもらおうとするのです。
反対に、良いところは、変える必要がないので、伝える意味を見出せないことがあります。
つまり、定型発達者は相手の良いところだけを、ASDは相手の悪いところだけを伝えているのです。
このようなことを続けていると、ASDは自分の長所ばかり見えるようになって、短所には気がつかなくなります。
言葉の裏の意図などは読み取ることができないので、「自分を喜ばせようとして言っているだけだ」といった考えには行き着かず、そのままの意味で受け取ります。
そうして、自分は良いところばかりがたくさんあるすごい人間で、それに比べて周りは悪いところがたくさんあるように見えてきます。
一方、定型発達者はASDのことを「こいつは人の嫌なところばかりを突いてくる嫌なやつだ」と思い、何も言わずにその人から離れていきます。
ASDにも、定型発達者にも、それぞれ良いところと悪いところがあります。
ASDであっても、自分の良いところを褒めてもらえると、良い気分になりますよね。
周囲の人の良いと思ったところをその人に伝えてみてはどうでしょうか。
そうすれば、自分の周りの人ともっと良い関係が築けるはずです。
悪いところを指摘するというのも、もし相手がその悪いところを自覚していて、それでも改善することができないと思っていたら、その指摘は相手を傷つけるだけになります。
なので、一度指摘したことのある改善点は、二度三度と言わなくても良いでしょう。
また、もし周りに自分の悪いところをはっきり指摘してくれるような人がいれば、その人のことは大切にしていきたいですね。
世の中にはASDよりも定型発達者の方が圧倒的に多いです。
ASDと定型発達者とのコミュニケーションがうまくいかなかったとして、定型発達者は定型発達者同士で人間関係を作っていけますが、ASDはそうはいきません。
生きていくにはどうしても人との関わりが不可欠ですから、ASDを持っている人こそ、定型発達者に対して配慮していく必要があるのです。
!POINT!
・悪いことばかりでなく、良いと思ったこともはっきり伝える。
・悪いことを指摘する場合は、一度だけ。
・自分の悪いところを指摘してくれる人を大切に。
0コメント